2016年04月16日

中越地震に似ている熊本地震、3地域で同時多発的

気象庁の青木元・地震津波監視課長は、余震の状況が最大震度7だった中越地震に似ているという。


熊本、大分両県にある活断層と震源


気象庁は、14日午後9時26分に発生した地震を前震
(M6.5 最大震度7 震源の深さ11km)

16日午前1時25分に発生した地震を本震
(M7.3 最大震度6強)とした。

本震は、1995年の阪神大震災と同規模。
九州内陸部の地震では過去100年で最大級という。

新潟県中越地震=2004年(平成16年)10月23日17時56分発生
M6.8 最大震度7 震源の深さ13kmの直下型地震。


熊本地震

・14日から16日22時現在の死者数 41人。

・熊本県内では16日午後2時半現在、686か所の避難所に約9万人が避難。

・全半壊・一部損壊の被害 住宅や公共施設など936棟。


救助活動を行う自衛隊員
地震で倒壊した家屋で救助活動を行う自衛隊員=16日午前、熊本県益城町(防衛省自衛隊提供)


熊本県熊本地方、阿蘇地方、大分県で規模の大きな地震が相次いでいることについて、気象庁の青木元・地震津波監視課長は16日午前の記者会見で、三つの地域で別々の地震が同時多発的に発生しているとの見解を示した。

16日午前1時25分に発生したマグニチュード7.3の地震(本震)が影響していると考えられるという。

M7.3の本震は、14日発生した熊本地震の原因の「日奈久(ひなぐ)断層帯」とその北側の「布田川(ふたがわ)断層帯」が交わる場所のやや北で発生した。

その後、北東側で地震活動の高まりがみられ、午前3時55分には熊本県阿蘇地方でM5.8(最大震度6強)、午前7時11分には大分県中部でM5.3(最大震度5弱)の地震が相次いで発生した。

気象庁はこれらの余震域が離れていることから、それぞれ別の地震と判断。

青木課長は「広域的に続けて地震が発生したケースは近代観測が始まって以降は思い浮かばない」と話した。


余震の多くは、本震を引き起こしたとみられる布田川(ふたがわ)(全長約64キロ)、日奈久(ひなぐ)(同81キロ)の両断層帯が交わる周辺で発生した。

益城町での死者も、ほぼこの断層帯に沿っている。

この付近の地下構造は複雑で、まだ揺れを引き起こしていない部分があり、これらが余震が多い原因とみられる。


余震の状況が似ているのは、同じ最大震度7だった中越地震だ。

同じように地下構造が複雑で、本震から4日後に震度6弱、10ヵ月後に震度5強の余震が発生した。

青木元課長は「中越地震では本震と近い規模の余震が何回もあった。」

「断層面がいくつもあり、地面の中で複雑に岩盤が壊れていたためだ」と説明。


佐藤比呂志・東京大地震研究所教授(構造地質学)は「日奈久は非常に長い断層で、今回その北端の5分の1程度が割れたとみられる。

「今後も大粒の余震が起きる可能性は否定できない」と警戒する。


今回の震源近くには、熊本県の阿蘇山や長崎県の雲仙岳などの活火山がある。

井村隆介・鹿児島大准教授(地質学)は「今までも阿蘇山は何回も活発化しているが、こうした地震は起きておらず噴火の影響も考えにくい」と指摘。

「小さな変動も見逃さないように、より慎重に観測を続けるべきだ」と話す。








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2016年04月15日

「平成28年熊本地震」発生!

平成28年4月14日午後9時26分ごろ発生した熊本地震で、甚大な被害を受けられた被災者の皆様に、心からお見舞い申し上げます。


被害を受けた熊本城
地震で瓦が崩れた熊本城、天守にあったしゃちほこが2つともなくなっている。(15日午前、熊本市中央区)=共同


地震で倒壊した家屋
地震で倒壊した家屋=熊本県益城町(2016年04月15日)=時事

益城町役場前に避難した人々
益城町役場前に避難し、余震が続く中、毛布にくるまる人たち(15日午前1時ごろ)=共同


平成28年4月14日午後9時26分ごろ、熊本県を震源とする地震があり、同県益城町(ましきまち)で震度7の揺れを観測した。

主な各地の震度は次の通り。

震度7 =熊本県益城町
震度6弱=熊本市、熊本県玉名市、宇城市、西原村
震度5強=熊本県菊池市
震度5弱=宮崎県椎葉村。


気象庁によると、震源の深さは約11キロ、地震の規模(マグニチュード)は6.5と推定される。
震度7の揺れが記録されたのは2011年3月の東日本大震災以来。

熊本県などによると、死者9人、負傷者1,000人超、多数の家屋が倒壊。

気象庁は、地震のメカニズムについて、南北方向に引っ張られる「横ずれ断層型」と説明した。
この地方では一般的なメカニズムとしている。

一般的に震源の浅い地震は余震が多くなる傾向がある。

余震が最も多かった中越地震(04年)は今回の地震と同じ最大震度7で、本震から4日後に震度6弱、10カ月後に震度5強の余震が発生した。

同庁の担当者は「新潟県中越地震では断層が複雑に破壊されていた」と指摘。

今回の余震の多さも同じ理由による可能性があるとみている。

余震の揺れが大きいのは震源が浅いためという。


気象庁は、今後も1週間程度余震が続く可能性があるとして、警戒を呼び掛けた。

熊本県警などによると、益城町に被害が集中。熊本県内の110番は590件に上った。

熊本県益城町では、停電のため14日午後11時半ごろから約11時間、余震が起きても震度計のデータを気象庁に送信できなくなった。

町などによると、役場内に同町唯一の震度計があるが、停電と非常用バッテリーを使い切ったことで機能を停止した。
15日午前10時半ごろに復旧したという。


九州電力は、佐賀県の玄海原発に異常はない。鹿児島県の川内原発は運転を続けている。

また、熊本県内で約1万6,700戸が停電。
約3万8,000戸でガスの供給が止まっているという。



■ 生後8ヵ月の赤ちゃんを救出! 

救出された赤ちゃん

救出された赤ちゃん
倒壊家屋から無事救出された生後8カ月の女児=15日午前、熊本県益城町(警察庁提供)

暗闇の中、民家が光に照らされ、重機の音が響く。震度7を観測し、被害が特に大きい益城(ましき)町では、警察や消防、自衛隊による懸命の救出作業が進められた。

同町安永の木造2階建て民家。地元消防によると、地震発生直後、1階がつぶれ、1階で一人で寝ていた生後8ヵ月の女児が閉じ込められた。

たびたび襲ってくる余震のため、救出作業は難航したという。

15日午前3時45分ごろ、民家から女児が救出された。
毛布にくるまれ、救急隊員の腕の中に、しっかりと抱きかかえられている。

周囲の消防隊員らから、拍手と歓声が上がった。

消防によると、母親は自力で脱出できたものの、女児が屋内に取り残された。このため、屋根にドリルで穴を開け、そこから入った隊員が手作業で障害物を取り除いた。

5分ほど作業をしては家屋の外に出て、余震がこないか様子を見ては再び作業を始める、という繰り返しだったという。

女児が救出されたのは、地震発生から約6時間後。はりなどの隙間でできた空間にいたため、頭部の打撲がある以外は目立ったけがはなく、命に別条はないという。



脱線した九州新幹線
脱線した九州新幹線の回送列車=熊本市(2016年04月15日)=時事

国土交通省によると、九州新幹線はJR熊本駅から熊本市内の車両基地に向けて回送中の九州新幹線800系(6両編成)が脱線した。

乗客は乗っておらず、運転士にけがはなかった。
全車両が脱線して復旧の見込みは立っていないという。



■ 熊本県益城町

所在地
〒861-2295
熊本県上益城郡益城町大字宮園702
・人 口:34,499人
・世帯数:13,455世帯
・町の木 マキ
・町の花 ウメ
・町の鳥 ウグイス
町長 西村 博則



災害大国である日本、天災の宿命とどう向き合うかという課題について「縮災」という考え方をご紹介した先に、またもや大災害が起こってしまいました。

大震災から5年「縮災」の視点とは

大震災から5年 歴史は警告する。


中越地震を経験している私たちは、とても人事とは思えません。


”出来ることを、今すぐに ”という精神で活動をしています。





 
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2016年03月11日

大震災から5年『縮災』の視点とは

災害大国である日本、天災の宿命とどう向き合うかという課題について考えてみたいと思います。

■「縮災」とは

・被害に見舞われても速やかに復旧できるように、社会の回復力が高いという意味である。

・レジリエンスを高めるとは「被害を減らすと同時に、復旧までの時間を短くすることにより、社会に及ぼす影響を減らすこと」である。

「縮災」とは、レジリエンスを高めることを目標とする。

※ レジリエンス=精神的な回復力・抵抗力などを表す心理学的用語。

要約すると、精神的にも物理的に於いても、災害被害を小さくすることと言えます。
日本政府は、縮災を「国土強靭化」と訳しています。

阪神・淡路大震災記念 人と防災未来センター長で、災害の歴史に詳しい河田恵昭・関西大教授は、日本の防災意識に関して「江戸幕府から明治政府に変わるときに見逃されたのが防災だ。」とし、その理由を「政治機構の参考にした欧州の国々も巨大災害を経験していなかったため」としています。

同氏は、続けて「日本の災害対策は起こった災害を繰り返さないという発想で、災害が起こらないと対策を取らなかったが、震災後、政府は今後起こるであろう巨大地震の被害の大きさを想定し、減災の対策を立てようとしている。その姿勢は評価すべきだ。」

と、一定の評価はしているものの、その一方では「被害を減らす方向へ進んでいるとはいえない。」としています。

さらに、「心配なのが首都直下地震だ。人と情報の流れが地震発生の瞬間、ぱっと止まる。」

「世界の都市が歴史上経験したことのない災害になる。限られた財源で命を守るには既存の防災施設の強度を高めることを優先すべきだ」

「これから求められるのは、被害を小さくしできるだけ早く回復させる『縮災』の考え方だ。

「被害を長引かせない方法を検討すれば、より現実的な対策につながる。震災から5年がたち、親族を亡くした当事者とそれ以外の人々の悲しみに差がありすぎるように見える。」

「悲しみを共有できない社会が、巨大災害と対峙することはできない。」としています。

■ この『縮災』の考え方を、もう少し具体的にすると

・限られた財源で命を守るには、既存の防災施設の強度を高めることを優先すべき。

津波は、「万里の長城」と呼ばれ、"防災のまち"として世界的に知られていた岩手県宮古市田老町の防潮堤10mの高さを乗り越え、破壊し 押し寄せた。

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被災直後(平成23年3月28日撮影)=岩手県

防潮堤原形復旧(漁港海岸は計画堤防高14.7m)
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防潮堤復旧状況(平成26年3月13日撮影)=岩手県

減災対策としての、巨額の費用と年月が必要とされる新たな防潮堤の設置(総額約26兆円)は、今なお賛否両論が渦巻いているのが現状です。

津波の被災者は、素朴に「海がそこに見えるから、津波が来たことが分かるが巨大な防潮堤で海が見えなければ避難しないようになる」と、語っています。

つまり、命を守るための対策は、巨大な防潮堤があるか無いかよりも、ナカさんのような意識を持てるかどうかに掛かっていると言えるようです。

・災害の歴史から多くを学び、悲しみを共有できる社会とは

「縮災」とは、レジリエンスを高めることを目標としていますから、精神的な回復も早く成されなければなりません。

旧山古志村の村長で、中越地震で全村避難の経験を持つ長島忠美復興副大臣は、県内紙において 新潟は今後、どう被災地と関わるべきかの質問に対し「精神的に寄り添う関係を続けてほしい。」

「山古志村は中越地震で人口が減ったが、それ以上に交流人口が増え、今も全国の多くの人と連携が取れている。」

「被災者の近くにいる新潟県民が、そばでずっと見続ける、風化はさせない、というメッセージを送ってほしい」

関連記事
【長野県北部を震源とする地震】 栄村を視察

宮城県七ヶ浜町追悼行事参加と周辺視察の旅

私なりに、『縮災』という視点で見た場合の実例をあげてみました。

「巨大な費用(約26兆円)と、長い年月を投じ新たに防潮堤を築く」ことも、「そばでずっと見続ける、風化はさせない」ことも、被災者の生活再建に関しては、経済の活性化だけでは実現しません。

中小企業振興、良好な住宅再建、優れた都市計画など、社会基盤の充実が存在して初めて実現する事と言えるのではないでしょうか。

私たちにゆとりがないと、非常に難しいことです。

ちなみに、日本政府は 被害を小さくしできるだけ早く回復させる『縮災』を意味する
National (Community) Resilience(ナショナル コミュニティ レジリエンス)
を、「国土強靭化」と訳しています。

調べによると「政府から家庭までの共同体での人間活動」という意味のようです。

結局、余りにも難しくて 一人ひとりが出来ることを、やることに たどり着いてしまいました。

情けないことです……。






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2016年03月10日

大震災から5年 歴史は警告する。

2011年3月11日午後2時46分に発生した東日本大震災は、多くの人の生活を変え、そして東北地方を中心に多くの町の姿を変えました。

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巨大地震で津波が押し寄せた後、宮城県気仙沼市市内では大規模な火災が発生。(2011年3月12日)=日本経済新聞

東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)
地震の規模はマグニチュード 9.0。
発生時点において日本周辺における観測史上最大の地震。
震源は広大で、岩手県沖から茨城県沖までの南北約500km、東西約200kmのおよそ10万km2という広範囲全てが震源域とされる。
最大震度は宮城県栗原市で観測された震度7.0。

被害
この地震により、場所によっては波高10m以上、最大遡上高40.1mにも上る巨大な津波が発生。
また、巨大津波以外にも、北海道南岸から東北を経て東京湾を含む関東南部に至る広大な範囲で被害が発生し、各種インフラが寸断された。
2016年(平成28年)3月10日時点で、震災による死者・行方不明者18,455人。
建築物の全壊・半壊は合わせて400,326戸。
震災発生直後のピーク時の避難者40万人以上、停電世帯800万戸以上、断水世帯180万戸以上。

復興庁によると、2016年2月12日時点の避難者等の数174,471人で、避難が長期化していることが特徴的である。


「自然」というものに対し、多くの日本国民は常に謙遜であらねばならないと感じています。
自然と戦うのではなく、その恩恵に感謝し共存する姿勢は日本の文明とも言えます。

ですが、時として 自然は 生きとし生けるものに過酷な打撃を与えます。このような時、私たちは過去から 歴史から多くを学ぶことができます。
過去からの警告、歴史からの警告として改めて考えてみたいと思います。

■「奇跡の集落」
岩手県大船渡市吉浜地区にある真新しい石碑にはそう刻まれています。
東日本大震災で同地区にも津波が襲いましたが、犠牲になったのは住民約1,400人のうち1人だけでした。
旧吉浜村の村長であった柏崎丑太郎氏は、1933年の昭和三陸津波の後、住民の高台移転を強力に進めました。

「高台へ」の教え

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「此処(ここ)より下に家を建てるな」と記された石碑(岩手県宮古市)

柏崎丑太郎氏には、苦い経験があったといいます。
昭和津波から37年前の1896年、明治三陸津波で住民の2割にあたる約200人が亡くなり、高台に移転する動きが出ましたが、昭和津波でも17人が犠牲になりました。
繰り返された犠牲の歴史。昭和津波後の柏崎氏は、強引との批判にも動じず住民の高台移転を徹底しました。

1896年(明治29年)5月15日の明治三陸津波
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津波の前は、民家が密集して立ち並ぶ漁村だった(左)。
津波に襲われた町は、ほとんどの家屋を失った(右)。

5年前のあの日、揺れを感じた100歳の柏崎ナカさんは坂を登りました。
「地震が来たらまず逃げろ」。少女だったころのナカさんに繰り返し説いた祖父丑太郎の面影を思い出しながら。
そうやって、ナカさんは平成の大津波を生き抜きました。

「おじいさんのおかげだねえ」と、ナカさんは話されたといいます。

「三陸沿岸は津波襲来の常習地である」。1923年の関東大震災を予測した初代地震学会会長、今村明恒氏はかつてこう警告しました。
だが、明治、昭和の津波で高台移転した岩手と宮城の30地区のうち21地区は、平成の東日本大震災でも大きな被害にあいました。
いつしか災害の惨劇の記憶が薄れ、不便な高台を離れる人々。津波の怖さを知らない移住者も低地に家を建てていきました。

死者・行方不明者1,700人以上を出した陸前高田市もその一つ。1960年代以降、人口増に伴って沿岸部に宅地を広げていきました。

都市計画に携わった元市職員の荻原一也(89)氏は「869年の貞観地震や1611年の慶長三陸地震の津波が今回と同じ規模と知ったのは震災後だった」と悔やんでいます。

■ 地震の2割は日本で起きているが、人災は避けられる
この10年で起きた世界中の大地震の2割は日本で起きていると言われています。
日本列島周辺では地球の表面を覆う4つのプレートが接しており、天災は避けられないが、人災は避けられます。

多くの人々のふるさとを奪った東京電力福島第1原発事故。津波の高さは東電が想定した5.7メートルを大きく上回る約13メートルでした。
東電は2008年、明治三陸並みの地震が起きた場合、津波の高さは最大15.7メートルとの試算を得ていましたが、具体的な対策には生かされませんでした。

関連記事
東日本大震災から2年、復興を困難にしている真の原因

試算の検討に関わった東北大教授の今村文彦氏は「震災前から貞観津波の堆積物調査をもとに巨大津波の可能性を東電に伝えていたのだが……」。

静岡沖から九州沖にかけて延びる海溝南海トラフを震源とする巨大地震は、100〜150年周期で日本の太平洋岸を襲います。今から約1300年前の720年に編さんされた日本書紀には、最古の南海トラフ地震とされる白鳳地震(684年)をこのように記しています。

「国中の男女が逃げ惑い、山は崩れ、川はあふれかえった」と

歴史は警告しています。

災害大国である日本、天災の宿命とどう向き合うか、新たな闘いはすでに始まっています。










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2015年10月24日

10.23「中越大震災の日」献花 黙とう が開催されました。

新潟県中越地震は23日、発生から11年となりました。

各地で、追悼行事が行われましたが小千谷市の市民学習センター楽集館では、10.23「中越大震災の日」献花 黙とう が開かれました。

希望の灯りと追悼行事会場
希望の灯り 平成27年追悼行事

一瞬にして大地が裂け、山が崩れ、家屋が倒壊…正に地獄絵と化す。(自治体の叫び 関 広一 著より)

平成16年災害対策本部と浦柄被災住宅
平成16年災害対策本部 浦柄被災住宅

68人の犠牲者、被災住宅12万棟の被害が発生したこの大震災は、観測史上最大の震度7を記録し、揺れは阪神・淡路を上回る大災害でした。

年月とともに、薄れゆく記憶を蘇らせるためにも、少し当時の地震の規模を振り返ってみましょう。

以下、気象庁資料より抜粋
最大震度7、震度5弱以上18回、被害総額3兆円(県発表)というこの地震は、本震・余震がいずれも深さ約5kmから20kmの浅いところで断層がずれて発生した典型的な直下型地震であり、この地震によって長さ約12km、幅約10kmの断層が北西側から南東方向に向かって1.8mほどずれ、震源地にほど近い小千谷市では約24cm隆起し、南西方向へ約9cm移動した。

瞬間的な揺れの強さを表す地震の最大加速度は、1995年の阪神・淡路大震災の818ガル(神戸海洋気象台)を大きく上回り、小千谷市土川では1500ガル、十日町市で1337.9ガル、栃尾市では1063.9ガルを観測。

文政11年(1828年)に約1,400人の死者を出した三条地震以来、M7クラスの大規模な地震に見舞われることがなかった「地震の空白地帯」を襲った大地震だった。

倒壊した住宅と避難所となった総合体育館
倒壊した住宅 避難所となった総合体育館

NPO法人防災サポートおぢやは、SVTS風組様・おぢや震災ミュージアムそなえ館様と共催し「10.23『中越大震災の日』献花 黙とう」を開催しました。

大塚昇一小千谷市長、宮崎悦男県議会議員のご列席を頂き、上ノ山町内の皆さんを始め、市内外から多数の方が献花、黙とうに訪れ、鎮魂の祈りを捧げました。

佐藤理事長は「中越大震災から11年が経過し、この災害が風化して行くことが心配される。風化させないためにも他団体と協力しながら活動を継続して行かなければならない」と、あいさつをされました。

大塚小千谷市長は「震災を体験していない職員が120人もいる」として「防災意識の向上を図る集いを市役所で開いた、全国から受けた支援の恩返しとして、職員の派遣などで新たな被災地を支えることが我々の役割だ」と語り、また このような追悼行事開催、日頃の活動に感謝を示されていました。

佐藤理事長のあいさつ
佐藤理事長あいさつ


献花、黙とう
献花


黙とう


防災サポートおぢや恒例の甘酒サービス
防災サポートおぢや 甘酒サービス

小千谷市民学習センター、小千谷市復興支援室の皆さんにもご協力を頂きました。ありがとうございました。

志を同じくする関係団体が、力を合わせ地域振興に結び付けていくこと、被災体験から学んだ多くの事例を紹介し、災害に備えるための実際的な方法を伝えていく事が、多くのご支援を頂いた方々に何よりの恩返しであり、使命でもあると思っています。

大災害は、日常生活をすべて破壊し、一瞬のうちに未来への希望を失わせます。
希望を失い、落胆している人々を救う道は、過去に大災害で被災した地域の復興とその先の地域の繁栄を実際に見て頂き「このようにまた、必ず普通の生活に戻れますよ」と希望を持って頂くしかないのだと思います。

そのためにも、私たちは震災を語り継いで行く方法や仕組み、世界経済や日本社会の目まぐるしい変動の中で、地域振興という実に重い課題に取り組まなければならないのです。


東日本大震災の津波で、住宅や家族を失った古老の言葉が忘れられません。

「失ったら、また一から始めればよい、急ぐことはない、ゆっくりとまた、始めればいいんだ」







 
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