2016年03月10日

大震災から5年 歴史は警告する。

2011年3月11日午後2時46分に発生した東日本大震災は、多くの人の生活を変え、そして東北地方を中心に多くの町の姿を変えました。

20160310kesennuma.png

巨大地震で津波が押し寄せた後、宮城県気仙沼市市内では大規模な火災が発生。(2011年3月12日)=日本経済新聞

東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)
地震の規模はマグニチュード 9.0。
発生時点において日本周辺における観測史上最大の地震。
震源は広大で、岩手県沖から茨城県沖までの南北約500km、東西約200kmのおよそ10万km2という広範囲全てが震源域とされる。
最大震度は宮城県栗原市で観測された震度7.0。

被害
この地震により、場所によっては波高10m以上、最大遡上高40.1mにも上る巨大な津波が発生。
また、巨大津波以外にも、北海道南岸から東北を経て東京湾を含む関東南部に至る広大な範囲で被害が発生し、各種インフラが寸断された。
2016年(平成28年)3月10日時点で、震災による死者・行方不明者18,455人。
建築物の全壊・半壊は合わせて400,326戸。
震災発生直後のピーク時の避難者40万人以上、停電世帯800万戸以上、断水世帯180万戸以上。

復興庁によると、2016年2月12日時点の避難者等の数174,471人で、避難が長期化していることが特徴的である。


「自然」というものに対し、多くの日本国民は常に謙遜であらねばならないと感じています。
自然と戦うのではなく、その恩恵に感謝し共存する姿勢は日本の文明とも言えます。

ですが、時として 自然は 生きとし生けるものに過酷な打撃を与えます。このような時、私たちは過去から 歴史から多くを学ぶことができます。
過去からの警告、歴史からの警告として改めて考えてみたいと思います。

■「奇跡の集落」
岩手県大船渡市吉浜地区にある真新しい石碑にはそう刻まれています。
東日本大震災で同地区にも津波が襲いましたが、犠牲になったのは住民約1,400人のうち1人だけでした。
旧吉浜村の村長であった柏崎丑太郎氏は、1933年の昭和三陸津波の後、住民の高台移転を強力に進めました。

「高台へ」の教え

20160310miyakosekihi.png

「此処(ここ)より下に家を建てるな」と記された石碑(岩手県宮古市)

柏崎丑太郎氏には、苦い経験があったといいます。
昭和津波から37年前の1896年、明治三陸津波で住民の2割にあたる約200人が亡くなり、高台に移転する動きが出ましたが、昭和津波でも17人が犠牲になりました。
繰り返された犠牲の歴史。昭和津波後の柏崎氏は、強引との批判にも動じず住民の高台移転を徹底しました。

1896年(明治29年)5月15日の明治三陸津波
20160310m29sanrikuoki1.png 20160310m29sanrikuoki2.png

津波の前は、民家が密集して立ち並ぶ漁村だった(左)。
津波に襲われた町は、ほとんどの家屋を失った(右)。

5年前のあの日、揺れを感じた100歳の柏崎ナカさんは坂を登りました。
「地震が来たらまず逃げろ」。少女だったころのナカさんに繰り返し説いた祖父丑太郎の面影を思い出しながら。
そうやって、ナカさんは平成の大津波を生き抜きました。

「おじいさんのおかげだねえ」と、ナカさんは話されたといいます。

「三陸沿岸は津波襲来の常習地である」。1923年の関東大震災を予測した初代地震学会会長、今村明恒氏はかつてこう警告しました。
だが、明治、昭和の津波で高台移転した岩手と宮城の30地区のうち21地区は、平成の東日本大震災でも大きな被害にあいました。
いつしか災害の惨劇の記憶が薄れ、不便な高台を離れる人々。津波の怖さを知らない移住者も低地に家を建てていきました。

死者・行方不明者1,700人以上を出した陸前高田市もその一つ。1960年代以降、人口増に伴って沿岸部に宅地を広げていきました。

都市計画に携わった元市職員の荻原一也(89)氏は「869年の貞観地震や1611年の慶長三陸地震の津波が今回と同じ規模と知ったのは震災後だった」と悔やんでいます。

■ 地震の2割は日本で起きているが、人災は避けられる
この10年で起きた世界中の大地震の2割は日本で起きていると言われています。
日本列島周辺では地球の表面を覆う4つのプレートが接しており、天災は避けられないが、人災は避けられます。

多くの人々のふるさとを奪った東京電力福島第1原発事故。津波の高さは東電が想定した5.7メートルを大きく上回る約13メートルでした。
東電は2008年、明治三陸並みの地震が起きた場合、津波の高さは最大15.7メートルとの試算を得ていましたが、具体的な対策には生かされませんでした。

関連記事
東日本大震災から2年、復興を困難にしている真の原因

試算の検討に関わった東北大教授の今村文彦氏は「震災前から貞観津波の堆積物調査をもとに巨大津波の可能性を東電に伝えていたのだが……」。

静岡沖から九州沖にかけて延びる海溝南海トラフを震源とする巨大地震は、100〜150年周期で日本の太平洋岸を襲います。今から約1300年前の720年に編さんされた日本書紀には、最古の南海トラフ地震とされる白鳳地震(684年)をこのように記しています。

「国中の男女が逃げ惑い、山は崩れ、川はあふれかえった」と

歴史は警告しています。

災害大国である日本、天災の宿命とどう向き合うか、新たな闘いはすでに始まっています。










posted by NPO法人 防災サポートおぢや at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 東北地方太平洋沖地震 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月11日

東日本大震災から2年、復興を困難にしている真の原因


福島第1原発に津波が押し寄せる直前の写真
(2011/03/11 15:57 東京電力撮影)

福島第一原発に津波が押し寄せる直前の写真
(東京電力撮影)


東京電力が撮影した福島第1原発3号機と4号機。3号機(左手前)は水素爆発で原子炉建屋が吹き飛び、4号機(中央奥)は建屋の壁に大きな穴が開いている。3号機と4号機の間からは白い煙が立ち上っている(東京電力提供 2011年03月15日)
福島第1原発3号機と4号機



東日本大震災から速2年、日々の報道などを見ていると復興の段階に入っているにもかかわらず、一向に進んでいない状況です。

その根本的な原因は何かということに、少し思いを馳せてみたいと思います。

まず、やはり福島の原発問題ですね。

海辺に立地している原発が、津波により予備の発電機が動かなくなった。

何故、水をかぶっても大丈夫な発電機にしておかなかったのか

何故、燃料タンクが、流れないようにしておかなかったのか

国も、電力会社も、あれだけ原発は安全ですと言っているのですから、海辺に立地している原発が水をかぶっても大丈夫なように手を打っているものと素人は思っても当然だと思います。

何故、水をかぶったら予備の発電機がダメになるのか

何故、防水の発電機ではなくても、予備のものを高台に置いておかなかったのか

原発におけるすべての事故、問題は、ここから始まっています。

電気を起こしている発電所に、電気がいかなくなった……

まるで、ブラックジョークですね。

リスクマネジメントがなさすぎると言えます。

先祖を長岡藩士にもち、戦時中には長岡に疎開し、長岡高等学高を経て東大を卒業した昭和史論などを多く刊行している作家の半藤一利氏は、「日本人は、往々にして 起きてほしくないことは、起きないだろうと思ってしまう。
先の大戦でも、ソ連は絶対参戦しないと思い込んでいた。
大事な判断をするときに、楽観的になる癖がある」

と話しています。


私見ですが、原発に関する多くの問題がここまで複雑化した最も大きな原因は、原発の問題を政治問題化にしてしまったことにあるように思えてなりません。

物事が、政治問題になってしまうと原発推進か原発全面反対かという、百かゼロの議論になってしまい、肝心な技術の問題が疎かになってしまいます。

政治の問題になると、反対派はあんなものは原理的に危ない、全面的にやめろと言うしかない。

推進派は、もう何十個も作ったのに今さらどうすればよいのか。経済にも大打撃を与える。

となってしまいます。

肝心の、非常時の電源をどうするかなどの細かい話に入っていけない。

原発というものが現にある以上、それは政治問題ではなく、技術の問題なのだと思います。

そうすれば、少なくとも現在の技術で可能な限り安全にすることができたはずです。

東京大学名誉教授の養老孟司氏は、著作の中で原発問題に関し「大戦時の旧日本軍は、無敵だといってドンドン進んで、その度に負けた。
原発も絶対安全だといってドンドンつくって既成事実にして、蓋を開けてみたらこうなった。

今起きていることは、日本が明治からずっとやってきたことのいわば答えであって、問題ではない。

こうなるまでには、ありとあらゆる事情の積み重ねがあって、今、その答えを我々は目の当たりにしている。


でも、皆、答えばかりに気を取られていて、問題は何だったのかというイマジネーションがほとんどない。」

では、養老孟司氏の言う問題とは、何でしょうか

「原発の問題に即して言えば、日本のエネルギー依存をどうするかということ。
日本は高度成長以降、猛烈な右肩上がりでエネルギーを使ってきた。
この傾向は絶対にまずいと思った。それで、昔、東京電力の副社長に聞いたことがある。

いつまでも(電力を)増やせるわけではないんで、天井ということを考えなければいけないはずだが、どうなんですか と 」

その返事に、副社長は「電力会社は、電力を供給する義務を法律で負わされています」

だった。

つまり、国策としての法律を後ろ盾に原発を作り続け、電力会社は右肩上がりの成長を続け、一般の人々とは桁違いの給料や退職金の恩恵に預かってきたということです。

原発問題の根本は、エネルギー政策にあるということは論をまたないところですが、エネルギー消費を減らさない限りこの問題は、永遠の課題だといえるのかもしれません。

経済成長には、エネルギー成長が不可欠ですから。


養老氏は、この課題に次のような提案もしています。


日本のエネルギー消費量は、世界の六〇分の一で良い。

何故なら、日本の人口はだいたい世界の六〇分の一だから、収入も、支出も、何でも六〇分の一で良い。

先進国だ、経済大国だと、そもそも威張っているのが変なんだから。

日本を脅かしているものは、日本を戦争へと駆り立てた原因ともなった石油を買わなきゃいけないからだ。

そのために日本は、絶えず輸出超過にしてきた。

ほとんどノイローゼだ。

内需が満たされ、国民が幸せだと思えるなら、世界何位だっていいじゃないか

明治時代には、こんな幸せそうな人々を見たことがないと外国人が書き残している

その時代に考え方をもどせばいい

と……。




原発の問題以外で、お役に立てるのは私達です。




posted by NPO法人 防災サポートおぢや at 18:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 東北地方太平洋沖地震 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月30日

宮城県七ヶ浜町追悼行事参加と周辺視察の旅


NPO法人防災サポートおぢやでは、東日本大震災による災害支援を現在も引き続き行っております。

去る3月10日、11日の両日、宮城県七ヶ浜国際村で行われた追悼行事への参加と現地視察の旅を実施しました。

宮城県黒川地方町村会及び議長会は、大震災後それぞれ小千谷を訪れ、当法人防災サポートおぢやが復興に関する対応を行ったことから、追悼式典参加の誘いを受け、実施されました。

現地では、事務局長の千葉己津雄氏を案内人とし、追悼行事参加に先立ち、10日は松島周辺、石巻市、女川町、東松島市を視察。

翌11日は、松島散策、遊覧後、七ヶ浜町追悼式典に参列 帰谷という強行日程でしたが、未曾有の大震災に見舞われた現地の1年後の状況を視察したこの旅は、大変に有意義なものでした。

大震災から1年後の今日に於いても、被災者の生活はとても平常とはいかず、物心両面からの支援、環境の整備、生活インフラの再構築など、まだまだ復興の途についたばかりという感がします。

連日のように報道されている、復興への妨げになっている最大の原因は、やはり瓦礫の処理です。

宮城県の瓦礫の量は、通常の19年分(約1569万t)もあり、その内被災地内で処理しきれない分は約344万t。

政府、環境省は、この被災地内で処理しきれない分を広域処理として、全国の自治体に受け入れ要請をしています。

小千谷市でも、何とか協力できないものかと、個人的に日々考えてしまいます。

小千谷市も、できないではなく、できる方法はないものかと、真剣に考えてほしいと強く望みます。

東松島市の瓦礫処理現場

東松島市の瓦礫処理現場

未だ処理されないままの瓦礫の山


この様に、処理されずに残された瓦礫が、各地に点在しています。


案内人の千葉氏の話では、この津波で流された水産加工会社の巨大な鉄製タンクは、震災を忘れないために一部を移転して保存する予定であるとのことです。(石巻市)

津波で流された水産加工会社の巨大な鉄製タンク




津波で全校児童の七割が犠牲になった、大川小学校です。

津波で全校児童の七割が犠牲になった、大川小学校

津波で全校児童の七割が犠牲になった、大川小学校


石巻市釜谷地区の北上川河口から約4`の川沿いに位置する大川小学校は、3月11日の東日本大震災で全校児童108人の7割に当たる74人が死亡、行方不明となりました。

河北新報社は震災からほぼ半年となる9月8日、大川小学校の惨状を証言をもとに克明に検証しており、これだけの犠牲者を出した要因にも触れています。


(河北新報社が検証した文献から抜粋)

住民や現場に居合わせた男性(70)の証言を総合すると、学校南側の裏山は急斜面で足場が悪いため、約200メートル西側にある新北上大橋のたもとを目指すことになった。

周囲の堤防より小高くなっている新北上大橋に向かって児童らが列を作って校庭から歩き出した直後、津波は児童の列を前方からのみ込んでいったという。

列の後方にいた教諭と数人の児童は、向きを変えて裏山を駆け上がるなどし、一部は助かった。


低学年でも登れたという裏山は、写真の右側の山です。

現在は、保護者の方々が教育委員会を相手取り、民事訴訟の準備をしているようですので、詳しい内容につきましては、割愛させて頂きます。






防災サポートおぢやは、中越大震災を体験した人々で運営されているNPO法人です。

平常時からの地震対策がいかに大切なことか、身重って経験しています。

多分野にわたり多彩な講師陣が、全国から招かれお役にたっています。


震災体験者が語る、防災、減災への教訓




posted by NPO法人 防災サポートおぢや at 00:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 東北地方太平洋沖地震 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月24日

地震と津波で大きな被害を受けた宮城県七ヶ浜町の概要


NPO法人防災サポートおぢやでは、東日本大震災による災害支援を現在も引き続き行っております。

来る3月10日(土)〜11日(日)に予定されている、宮城県七ヶ浜国際村で行われる追悼行事への参加と現地視察に先だって、七ヶ浜町の概要をお知らせいたします。

七ヶ浜町は、東日本大震災で10m以上の津波に襲われ、沿岸全域で壊滅的な被害が発生しました。

参加される方の予備知識として、ご活用頂けましたら幸いです。

宮城県七ヶ浜町で行われる追悼行事への参加と現地の視察



七ヶ浜町地図

七ヶ浜町地図



東北最古の海水浴場、宮城県七ケ浜町菖蒲田浜(しょうぶたはま)

東北最古の海水浴場、菖蒲田浜(しょうぶたはま)背後には約500世帯の住宅が密集していたが津波に押し流され、跡形もなくなった。防波堤も崩れ、白砂青松で知られた砂浜も大きくえぐられている[宮城県七ケ浜町役場提供](2011年3月13日)

被害を受けた宮城県七ケ浜町付近

被害を受けた宮城県七ケ浜町付近[陸上自衛隊ヘリコプターより][陸上自衛隊提供](2011年3月24日)【時事通信社】

被害を受けた宮城県七ケ浜町付近

地震と津波で大きな被害を受けた宮城県七ヶ浜町(2011年3月19日)【AFP=時事】


宮城県七ヶ浜町の概要(七ヶ浜町HPより抜粋)

七ヶ浜町は、仙台市中心部から東に約20km、南は太平洋に面し、北と東は松島湾と三方を海に囲まれ、西は仙台市、多賀城市、塩竈市と隣接する、松島湾の南西に突き出した半島状の形態をなしています。

町土の面積は13.27Kuで、町の中央部がなだらかな丘陵地帯となっており、海岸部に向けて放射状に傾斜し、起伏の変化に富んだ地形です。

また、日本三景松島の一角をなし、町内の東部が県立自然公園松島の指定を受け、海岸線に沿って特別名勝「松島」の指定を受けるなど、自然環境や景観に恵まれた地域です。

古くから海と密接に関わり、生活が営まれてきた地域でもあり、海岸部には縄文文化を今に伝える貝塚をはじめとした遺跡が多く残され、東北一の規模を誇る大木囲貝塚は国指定史跡に指定されています。

明治22年に七ヶ浜村が開村し、昭和34年に町政施行し七ヶ浜町となって以来、本日に至るまで「うみとひと」との関わりを大切にしたまちづくりに努めています。


現在の状況

■ 七ヶ浜町人口 : 20,231人 6,450世帯
              (平成24年2月1日現在)

■ 住宅、建物被害(全壊数+半壊数) : 1,303戸
■ 七ヶ浜町内で死亡が確認された方  :  104名
■ 七ヶ浜町民の行方不明者(死亡届提出者含む) : 4名
■ 応急仮設住宅入居者 : 632世帯 1,985人
  (民間賃貸住宅の応急仮設住含む)

■ 災害廃棄物(震災がれき)がれき推計量 : 33万3千トン

■ 役場所在地     : 宮城県宮城郡七ヶ浜町東宮浜字丑
                谷辺5番地1
                代表電話 022ー357-2111
■ 平成23年度予算 : 53億5,700万円
■ 町  花       : はまぎく
■ 姉妹都市      : アメリカ合衆国マサチューセッツ州プ
                リマス町


地震と津波で大きな被害を受けた宮城県七ヶ浜町


 

災害体験者の生の声、避難所の問題やトイレ、ボランティアの組織など数々の問題に直面した時、どのように行動すればよいのか

市民の生命と財産を守るとは、どういうことなのか

NPO法人防災サポートおじやは、各分野に渡り多彩な講師陣が、全国でお役にたっております。


講師(語り部派遣)はこちらからどうぞ




posted by NPO法人 防災サポートおぢや at 21:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 東北地方太平洋沖地震 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月28日

豪雨災害見舞に石巻市の斎藤病院から来市

地震災害、地震防災対策サポートサイト
防災サポートおぢや


平成23年7月新潟・福島豪雨は、小千谷市に於いても死者や家屋の半壊、床上床下浸水、土砂崩れなど多大な被害をもたらしました。

会員の中には、避難勧告が出された地域にお住まいの方も数人おられました。


平成23年7月新潟・福島豪雨災害はこちらから


去る8月12日、防災サポートおぢやに、石巻市の斎藤病院から看護部長さんと、婦長さんが来市されました。

看護部長の菊池里子さんと婦長の小林雅恵さんは、小千谷市の豪雨災害をテレビで知り、8月1日の月曜日に出勤するなり、院長と事務長が「小千谷はどうなっているのか」と、心配されていた。

震災支援の恩返しに、何ができるかと考えた末、斎藤病院グループでカンパを募ることにした。

院長からは、早く小千谷に行けと言われ上司命令で今日、見舞金を届けることが出来た。

良いご縁を頂き、うれしく思う。これからも交流していきたい。


防災サポートおぢやの関係者は、「東日本大震災の津波によって甚大な被害を受けた病院からの見舞金は受け取れない」と、何度も固辞しましたが、「震災以来、何度も支援を受けているお礼」と語り、上司命令でもあるいうことでした。

根負けし、見舞金を受けた関理事長は、「皆さんの本当の復興はこれから。私たちができることがあったら、遠慮なく言ってほしい。これからも友好を深めていきたい」と述べ、理事長、佐藤常務が、小千谷における豪雨災害の様子をお伝えしました。

お見舞金を持参された菊池看護部長さんと小林婦長さん。関理事長

来市された菊池看護部長さんと小林婦長さんから、お見舞金を受ける関理事長


お二人からは、石巻市の現状もお聞きすることが出来ました。

石巻市は、他地区より復旧が遅れているように思う。
自衛隊が撤退した後、瓦礫の処理などが進んでいない。

行政が示した10年先の復興計画は、街並みが絵などで描かれているが、あまりの素晴らしさに実感がわかない。本当にこの様になるのか、信じられない。

仮設住宅の建設は、用地がなくまだ終わっていない。
抽選に当たっても仕事がなく、収入のない人は入居することができない。

遺体の捜索は、自衛隊が撤退した後警察が行っている。

職員のある婦長は、夫が震災から5ヶ月後に見つかった。
寝たきりの90歳の姑の面倒を見ながら探し続けたが、見つからず死亡届を出そうとしていたところ、警察から連絡を受けた。

波に押し寄せられ、浜に打ち上げられていた。身に着けていたジャンパーや財布から夫だとわかったが、DNA鑑定もやり、最後は歯型の一致で判明した。

職員の中には、家族が未だ見つかっていない人もいる。
若い男性職員は、奥さんと幼い子供が行方不明で、職場の机の上には写真が置かれている。

こういう人達は、「自分だけではないのだから」と言い聞かせ、のり越えようとしている。


そして最後に、震災を経験している私たちに、「自分たちも被害にあうと、人の被害の痛みがわかる」

「家族の状況がわからなかった時が、一番つらかった」

「佐藤さんが来てくれた時は、外部の人達に知られているという事がわかって、安心した」

と述べられ、桁違いの震災とはいえ、被災者同士の連帯感が感じられた一瞬でもありました。

菊池看護部長さんと小林婦長さんと共に


石巻市の医療法人社団 「 仁明会 」 斎藤病院は、防災サポートおぢやが講演依頼を受け、佐藤和美理事が今年1月21日にに伺った病院であり、その後も資料を送付するなど交流が続いていました。

佐藤理事は、震災直後の3月25日に小千谷市医師会チームの一員として石巻市を訪れた際、同病院で医療支援活動を行い、その後も単独で救援物資を届けるなどボランティアとして活動しております。

佐藤理事の報告により、自らも被災しながら懸命に医療活動に従事している病院職員に対し、支援できることがあるのではないかとの趣旨で、防災サポートおぢやは継続して支援活動を行っています。



中越地震を経験している私たちが言えることは、復興に向けての第一歩は、無理にでも前を向いて歩くこと、目標を持つこと、近い将来の復興に希望を持ち、決して疑わないことではないかと思います。

国や行政は、被災者に揺るぎない希望や目標を指し示し、夢を与える事こそが最大の仕事ではないでしょうか。




防災サポートおぢやは、中越大震災を体験した人々で運営されているNPO法人です。

平常時からの地震対策がいかに大切なことか、身重って経験しています。

多分野にわたり、多彩な講師陣が全国から招かれ、お役にたっています。

震災体験車が語る、防災、減災への教訓



posted by NPO法人 防災サポートおぢや at 16:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 東北地方太平洋沖地震 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月27日

被災者支援物資を石巻市の齋藤病院へ搬送

地震災害、地震防災対策サポートサイト
防災サポートおぢや


NPO法人 防災サポートおぢやは、東日本大震災 被災者支援活動の一環として、石巻市の斎藤病院へ夏物衣料などを送る事業を行っています。

多くの会員、市民の皆様からお寄せいただいた物資は、7月6日に斎藤病院へ届けられました。

以下、事務局の竹田通子さんからのレポートを掲載いたします。


・支援物資募集  7月2,3日 9時〜12時

・支援物資内容  夏物衣類・寝具、バスタオル、タオル⇒ダンボール箱44箱、自転車10台

・支援物資提供者 NPO会員、市民、事業所等 約60名

・作業ボランティア のべ25人


暑い日の続く中、多くの会員や市民の方から物資を提供して頂き、またボランティアとして仕分け等の作業に従事して頂きありがとうございました。

心より感謝申し上げます。

バスタオルなど大量に届けていただいた方、地域で支援物資を取りまとめて下さった方、自転車を業者から点検してもらったうえで届けて下さった方、NPO会員である自転車商の方からは、すぐ使えるように自転車の点検や部品の交換を無償で行って頂きました。

少しでも被災された皆様のお役にたちたいとの小千谷市民の思いが伝わってまいりました。  


・支援物資輸送 7月6日 医療法人社団仁明会齋藤病院へ届けました。

 2tトラック1台、役員等5人が自家用車で同行。


院長、事務長、看護部長等の皆さんから出迎えを受け、大変喜んでいただきました。

有効に活用させて頂くとのことです。


竹田は同行しませんでしたので、伝聞です。

また、帰途東松島市へ立ち寄って現地でボランティア活動に携わっている篠田理事の知人から状況を聞いてきたそうです。

次の被災地での支援活動のための情報収集の一環です。

提供された物資

齋藤病院での荷降ろし

齋藤病院にて

被災の爪痕 石巻〜東松島


大震災の跡地も、ずいぶん片付いたようですが、集められた瓦礫はまだ山積みになっており、その行き場を失っています。

政府の、早急な対応が望まれていますが、昨今の報道は原子力のことばかり。

医療という、生命の安全を司る現場に於いて、斎藤病院職員の皆様の並々ならぬご努力に敬意を表します。




防災サポートおぢやは、中越大震災を体験した人々で運営されているNPO法人です。

平常時からの地震対策がいかに大切なことか、身重って経験しています。

多分野にわたり多彩な講師陣が、全国から招かれお役にたっています。


震災体験者が語る、防災、減災への教訓




posted by NPO法人 防災サポートおぢや at 18:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 東北地方太平洋沖地震 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月26日

被災者支援物資の集荷

地震災害、地震防災対策サポートサイト
防災サポートおぢや


NPO法人 防災サポートおぢやは、東日本大震災 被災者支援活動の一環として、石巻市の斎藤病院へ夏物衣料などを送る事業を行っています。
去る7月2、3日 その集荷作業が行われました。

支援物資の集荷作業

支援物資の集荷作業

支援物資の集荷作業

支援物資の集荷作業


集められた物資は後日、石巻市の斎藤病院へ送られます。

少しでも、被災者の方々のお役にたつことが出来れば幸いです。
参加されたボランティア、スタッフの皆様、本当にご苦労様でした。




防災サポートおぢやは、中越大震災を体験した人々で運営されているNPO法人です。

平常時からの地震対策がいかに大切なことか、身重って経験しています。

多分野にわたり多彩な講師陣が、全国から招かれお役にたっています。


震災体験者が語る、防災、減災への教訓




posted by NPO法人 防災サポートおぢや at 17:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 東北地方太平洋沖地震 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月15日

【東北地方太平洋沖地震】宮城県石巻市を視察

地震災害、地震防災対策サポートサイト
防災サポートおぢや



去る5月27日、防災サポートおぢやは宮城県石巻市を訪問し、その被害の実態を視察してきました。

以下、事務局の竹田通子さんからのレポートを掲載します。


≪東日本大震災被災地訪問≫


訪問先 : 宮城県石巻市

期  日 : 平成23年5月27日

訪問者 : 関理事長、佐藤和美理事、篠田理事、金箱孝司、
       イザベル(ドイツから佐藤宅にホームスティ中)
       竹田通子 

5月27日、防災サポートおぢやでは、関理事長以下数名が東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県石巻市を訪問しました。

はじめに、石巻市役所を訪問し、人事課の課長、課長補佐に面会し、この度の地震・津波災害からの復旧・復興状況と被災自治体に対する人的支援の実態についての説明をお聞きしました。

それによると、全国の自治体からこれまで延べ1200人以上の応援職員の派遣を受け、今後も予定されている。また、国の緊急雇用対策事業を活用して300人以上の臨時職員を雇用し、復旧事業に対応している。

しかし、現行法上、自治体からの派遣職員は期間が有限であり、その費用も被災自治体が負担する(後に地方交付税に算入される)こととなる。

臨時職員も雇用期間が限定され、仕事内容も限られたものとなる。
また、福利関係など人事管理に関する事務も膨大なものとなっている。

今後は、他自治体からの応援職員は、同じ人を長期間、その経費は国が派遣元へ支払うというような仕組みづくりを要望したいと訴えておられました。

また、震災による石巻市の人的被害は、被災市町村中最大になりそうであり、避難所も3月末で250か所、現在まだ50か所あるそうです。

これからも仕事は際限なくあり、職員も被災しながら職務にあたっていることから(課長補佐さんも家を流されたそうです)、メンタル面も含めた健康管理が今後の大きな懸念であるとおっしゃっていました。

防災サポートおぢやでも、これからも機会あるごとに被災自治体に対する支援の充実を訴えていきたいと思います。

続いて、石巻市の医療法人社団仁明会齋藤病院を訪問しました。

ここは、防災サポートおぢやが依頼を受け、佐藤和美理事が今年1月21日に講演に伺った病院であり、講演後も資料を送付するなど交流が続いていました。

幸い津波の被害は免れたものの、周囲が水没し、3日間陸の孤島状態であったそうです。

佐藤理事は、震災直後の3月25日に小千谷市医師会チームの一員として石巻市を訪れた際、同病院で医療支援活動を行い、その後も単独で救援物資を届けるなどボランティアとして活動しております。

その報告により、自らも被災しながら懸命に医療活動に従事している病院職員に対し支援できることがあるのではないかとの趣旨で訪問し、同病院の花輪事務長、菊池看護部長にお話を伺いました。

それによると、行政から私立の病院への支援はほとんどなく、物資も大きな病院に集中するため不足し、厳しい状況であったそうです。

津波にあった職員は出勤できず、また交通が遮断し、通信手段も途絶えたため、勤務中の職員は家族の安否も不明のまま勤務を続けたそうです。

現在、被災した職員は、何とか民間の賃貸住宅や仮設住宅に入ることができたものの、生活用品や夏物衣料などが不足しているとのことです。

また、被災時には、佐藤理事が講演した体験に基づいての教訓が非常に役立ったと感謝され、自分たちの体験したことを伝える防災サポートおぢやの活動は、意義のあることと実感しました。

今回の視察で確認したことを基に今後の支援活動を検討していくこととします。

石巻市内は、震災直後に訪問した佐藤理事によると、当時はいたるところにがれきが散乱していたが、今回はすっかり片づけられており、市中心部は復旧へ向かっていることを実感したそうです。

震災から3か月近く経過し、市街地で地震の被害を直接確認できる箇所は多くはありませんでしたが、そこかしこに水が押し寄せた跡が見て取れました。

石巻港、旧北上川河口周辺は、津波で根こそぎさらわれており、がれき除去作業の重機や作業員、交通整理の警察官くらいしか見られず、粉塵が舞い、寂寥感が漂っていました。

また、帰りに通った仙台市内の高速道路では、道路を境に海側の田畑・宅地に流された大木やがれきが散乱し、山側では、田植えがなされておりました。

海側と山側の被害の落差に言葉もなく、被災地の皆さんが一日も早く以前の生活を取り戻せるよう祈りながら帰途につきました。


以上です。


竹田さん、貴重なレポートをありがとうございました。


尚、6月16日の定期総会では協議事項として、「 震災被災地への支援活動について 」と題し、今回視察した内容を踏まえて、支援の方法などが話し合われる予定です。



視察先の石巻市の画像です





防災サポートおぢやは、中越大震災を体験した人々で運営されているNPO法人です。

平常時からの地震対策がいかに大切なことか、身重って経験しています。

多分野にわたり多彩な講師陣が、全国から招かれお役にたっています。






posted by NPO法人 防災サポートおぢや at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 東北地方太平洋沖地震 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月19日

【東北地方太平洋沖地震】 ボランティア活動の様子

小千谷から発信⇒地震災害、地震防災対策サポートサイト
防災サポートおぢや


NPO法人 防災サポートおぢやでは、大震災発生以来、情報収集をしながら他の団体と協力した募金活動や、温かい汁物の提供、各地の被災現場の視察など、被災状況を把握しながら支援活動を行っています。

福島県は4月19日、東日本大震災や福島第1原発事故の影響で県外に避難した住民が44都道府県で計2万9833人に上ると発表しました。

各都道府県が把握している避難所や公営住宅など計1635カ所に入居した住民に限られており、親族や知人宅への避難者は含まれておらず、県外避難者の実数はさらに多いとみられています。

避難者は新潟県の7804人(4月19日現在)が最多で、次いで埼玉県の3524人、群馬県の2948人。

福島県は避難者が多い9都県に職員を派遣し、避難者の要望を聴いたり、地元自治体との調整に当たるなどしています。


小千谷市では、3月17日の一般家庭での第1次避難での受け入れ人数232人から始まり、第2次避難所の総合体育館には、今現在、福島県からの避難者が約100人以上滞在されています。

4月5日には、市内企業の社員寮に45人が移動されています。

まもなく、全被災者の方は第3次避難所の企業の社員寮や、雇用促進住宅などへ移動される予定になっており、避難所としての総体は4月20をもって閉鎖されます。

防災サポートおぢやは、3月30日から4月13日までの毎週水曜日、この総体に避難されている皆さんに、温かい汁物を提供するボランティア活動を行ってきました。

多数の会員の皆様が参加され、多くの被災者の方々から喜ばれていました。

写真は、4月13日に実施されたときの様子です。

総合体育館の避難所


1日の時間割


食材の準備


食材の準備


大釜のお汁も残り少なく


廃棄物が出ないようにお椀を使用しています


配給の様子


クラインガルテンに滞在中の皆さん



小千谷市の総合体育館に避難されている南相馬市原町区の安川さん(70歳代)は、

「 自宅は、原発から20K〜30K圏内にあり、放射能が怖くて家族4人で避難してきた。

 犬の散歩の途中で地震にあい、津波が来ると最初に思った。海から6〜7K離れているが200m 位の所まで水が来た。怖くて、海の方を見られない 」

と、地震の様子を語ってくれました。

また、同じ町内の安川さん(80歳代)は、奥さんと2人で避難されてきましたが、奥さんが三条の避難所に移ってしまい、毎日電話で連絡を取り合っているそうです。

一緒に三条に行かなかったことで、妻が怒っているのではないかと心配されていましたが、

「 小千谷の人達の親切がうれしく、温かいお汁もおいしい、ここで満足している。小千谷の皆さんに感謝しています 」

と、話され、しじみ汁が飲みたいとの希望も出されていました。

お元気になられて、本当に良かったですね。

しじみ汁は、またの機会にね。


ボランティア活動に参加して頂いた中に、クラインガルテンに滞在中の方がいらっしゃいましたのでお話を伺ってみました。

さいたま市浦和の宇田川さん(68歳)は、

「 同級生が仙台市の荒浜で被災した。500m後方まで津波がせまった、ボランティアで少しでも被災者のお役にたちたい 」

(仙台市若林区荒浜では、現在200人〜300人のご遺体が発見されているが、行方不明者は多数)

また、所沢市の那須さん、大宮市の高橋さん、新潟市の小田野さんなど、「 お役に立ちたい 」という気持ちから、5人の方がお手伝いをしてくださいました。

男性の方の包丁さばきも、なかなかのものでした。

参加された会員の皆様、お手伝い頂いた多くの皆様、本当にありがとうございました。 



防災サポートおぢやは、中越大震災を体験した人々で運営されているNPO法人です。

平常時からの地震対策がいかに大切なことか、身重って経験しています。

多分野にわたり多彩な講師陣が、全国から招かれお役にたっています。









posted by NPO法人 防災サポートおぢや at 17:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 東北地方太平洋沖地震 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月16日

【東北地方太平洋沖地震】 浦安市を視察・3. 11震災企業 東京ディズニーランドでは…

小千谷から発信⇒地震災害、地震防災対策サポートサイト
防災サポートおぢや


去る4月8日、防災サポートおぢやではこの度の巨大地震で液状化現象が著しい千葉県浦安市を視察しました。

関理事長、佐藤常務、篠田理事は、現地の災害対策本部長(松崎秀樹市長)をはじめ、中村健副市長、浦安市危機管理官の澤畠博氏に面会し、被害状況の説明を受けました。

浦安市の3分の2程度が、液状化現象に見舞われ、復旧、復興には専門家の意見が必要であり、全国から学者等が多く訪れている。

液状化が、これ程広範囲に及ぶ災害は日本でも初めてなのではないか。

現在は、水道、下水道の復旧に全力をあげている段階である。

小千谷市からも支援があり、深く感謝している。


このような説明を受けた後、大塚和則防災課長の案内で被災現場を視察しました。

大手スーパーの建物は、見た目の被害は無いが周囲の道路が陥没していたり、また隆起していて大きな段差がある。

舗道の被害が多い。

水道は、仮配管である。


浦安市の被害状況(関理事長撮影)

浦安市災害対策本部

浦安市災害対策本部



浦安市の被害4月8日現在


浦安市の被害4月8日現在


浦安市の被害4月8日現在



浦安市の被害状況を視察した関理事長は、宅地の地盤崩壊や舗道との段差が顕著であり、その復旧工法はあるのだろうか

表面ではわからない地中の崩壊の程度が気がかりである

液状化を防ぐ工法の強化が早急に必要である と感じたそうです。

ちなみに、ツイッターでは浦安市民が頻繁に、液状化現象がひどく、あちこちから水がわき出たり、噴き出している。土嚢が足りない。送って

と訴えていました。

私の知り合いで、浦安市の某企業の女性社長は、避難所暮らしをしながら

「地域の防災担当なのに、何も手が打てない」

「食糧はいらないから、土嚢を送って」と、メールで訴えていました。


視察された理事の皆様、ご苦労様でした。

一日も早い浦安市の復旧をお祈りいたします。





ところで、浦安といえば東京ディズニーランドですが(千葉県にあるのに)先日15日に営業が再開されました。

開園を前に、約1万人が並び東北の被災地福島県や岩手県などからも入場者があり、喜びの表情が報道されていました。


少し長くなりますが、大震災企業であるオリエンタルランドは、その時、どのように動いたのか、

非常に関心があったところに、タイミングよく地震直後の様子が日経オンラインより配信されてきましたので、要約してお届けします。


震度5弱を記録した東京ディズニーリゾート

大きな揺れや、液状化に備えた建築工法が園内にいた約7万人の安全を守った。

それ以上に安心を紡いだのは、確立された指揮命令系統と、「キャスト」と呼ぶアルバイトの危機管理意識だったという。

この、東京ディズニーリゾートを運営するオリエンタルランドは、海外のパークと統一の震災マニュアルはあるが、地震国である日本ゆえの備えに力を入れてきたという。

それが、2008年策定の「地震対策基本計画」だ。

日本の、首都直下型地震の被害想定の見直しを受け、浦安市の協力で作った特別マニュアルを今回初めて発動した。

エマージェンシー・コントロール・センター(ECC)と呼ぶ危機管理チームは、直ちに「地震対策統括本部」へと姿を変え、技術や運営、セキュリティーなど各部から集まったメンバーがオペレーション室に集まり、社長の上西京一郎(53)が本部長席に座った。

アトラクションやショップ、レストランの数は2パークで230近く。

これを7つのエリアに分け、緊急電話や無線を使って細かな指示を飛ばしたという。

隣接の駐車場で液状化は起きたが、パーク内の被害は軽微でけが人もなかった。

突然の雨と東京湾からの寒風。震えて広場に座り込む親子連れや高齢者らに、売り物のレインコートを配った。

その時点での滞在者は、約5万5000人。数は到底、足りない。

ビニールシートや大型のポリ袋、タオル、風よけの段ボールなど当座をしのぐ品々をかき集めた。

誘導を終えたのは午後11時すぎ。

園内に残った約2万人が一夜を明かすことになるが、備蓄の非常食で十分賄えたという。

ガスが復旧した12日未明には、温かいスープやホットドッグを全員に配った。

30分おきに外周道路の状況を歩いて確認した社員……。

危機管理を担当する副社長、砂山起一(63)の指示で、駐車場の補修工事の手配に奔走した社員……。

来場者に事故があってはならない。統括本部の下で出番の6000〜8000人が夜を徹して動いた。

その中で、砂山は笑顔と丁寧なあいさつで接したキャストの頑張りをいの一番に挙げる。

何百人もが夜を過ごした園内のある施設。

シャンデリアの下に立ったキャストが「僕はシャンデリアの妖精。何が起きても皆さんを守ります」
と言って笑いを誘った。

余震によるシャンデリアの落下を恐れて配置していたキャストが、機転を利かし、近づけないようにしたのだ。

開園前や閉園後の時間を使った防災訓練は、大小合わせ全体で年間160回余。

社員並みのプロ意識が自然と働く。

3月14日から、社内は営業再開に動き出す。液状化で土砂が積もった駐車場も大事には至らなかった。

4月1日の入社式。砂山は21人の正社員にこう訓示した。

「マニュアル企業のイメージが強いが、応用の利く集団になってほしい」(敬称略)




防災サポートおぢやは、中越大震災を体験した人々で運営されているNPO法人です。

平常時からの地震対策がいかに大切なことか、身重って経験しています。

多分野にわたり多彩な講師陣が、全国から招かれお役にたっています。







posted by NPO法人 防災サポートおぢや at 18:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 東北地方太平洋沖地震 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月31日

【東北地方太平洋沖地震】広がる支援の輪(2)

小千谷から発信⇒地震災害、地震防災対策サポートサイト
防災サポートおぢや


多くの支援の輪が世界中で広がっていますが、その一部をまとめてみました。(2)です。


●東京都は3月29日、東日本大震災の被災地のため、都内在住・在勤者で構成する「都民ボランティア」を派遣すると発表した。

4月上旬にも、仙台市で「都民ボランティア支援センター宮城」を開設し、被災地のニーズをくみ取る拠点にする。最初の派遣先は宮城県だが、態勢が整えば、岩手、福島両県にも広げていくという。

現地までの移動手段、宿泊場所のほか、無線などの装備は都が用意する。
被災地での支援経験のあるボランティアをリーダーに4人程度のチームを10編成し、1週間単位で活動する。派遣は4月4日以降になる見通し。

●東京都、復興宝くじを今夏販売へ 収益は被災地に

東京都は「震災復興宝くじ」を今年8〜9月ごろ都内で発売すると発表した。
東日本大震災の被災地の自治体と共同発行の形を取り、目標収益額10億円のほぼ全額を被災自治体が使えるようにする。
くじは1枚100〜200円。4〜5回に分けて計25億円を発売する方針。

震災復興宝くじは阪神大震災や中越地震で、被災した自治体が全国で販売したことがある。

●避難先に農漁村の施設活用を検討、農水省 2011/3/29

農林水産省は東日本大震災で被災した人の避難先として、全国の農漁村にある宿泊施設や廃校を活用する方針。

農業協同組合や地方自治体との間で調整を進め、農漁業体験向けの研修施設や廃校、空き家などを紹介する。

すでに自治体の意向や受け入れ可能な人数の調査を始めており、受け入れへの調整を急ぐ。
過疎化が進んでいる農漁村では研修施設や宿泊施設、住居などがほとんど使われていないケースがある。

農水省は施設を保有する自治体や農協などから情報を集め、受け入れ先を紹介する。

●「復興特区」の創設検討 政府、規制や税制で優遇 2011/3/30

政府が東日本大震災で被災した自治体向けに「復興特区」の創設を検討していることが29日、分かった。
被災地を特区と認定することで復興の妨げになる規制を緩和し、復興の迅速性を高める。

各地域を単に震災前の状態に戻すのでなく、新しいビジョンに基づいたまちづくりを可能とする狙いもある。

2011年度に創設予定の「総合特区」のように、規制緩和だけでなく予算や税制面の優遇措置も加える方向。

総合特区法案は現在国会で審議中だが、それとは別に新たな立法措置を検討する。
被災地が広範囲なため、太平洋沿いの幅広い自治体を特区の対象としたい考えだ。

阪神大震災の際には、兵庫県が「エンタープライズゾーン」と呼ばれる経済特区を提案。
だが当時は特区制度が存在せず、政府が一国二制度となることに難色を示し実現しなかった。

国は震災発生から約2カ月で16の特別立法を成立させて対応したが、柔軟さに欠ける規制の運用が復旧や復興の障害となった。

●公務員給与5%カット検討=東日本大震災の復興財源 民主

東日本大震災の復旧・復興財源をめぐり民主党内で、国家公務員の給与を5%カットする案が浮上していることが29日、分かった。

2011年度で約1500億円を捻出する。人事院勧告に基づかない給与引き下げは極めて異例だが、全体で10兆円を超えるとされる震災復興費用の財源確保のためにはやむを得ないと判断した。

同日成立した11年度予算に計上されている国家公務員の給与費総額は3兆7642億円。

民主党案では、月給などを特例的に5%削減する給与法改正案を通常国会へ提出。
6月以降に引き下げた場合、約1500億円が捻出できる見通しで、がれき撤去などの災害支援策を盛り込む11年度第1次補正予算案の財源に充てる。



 
posted by NPO法人 防災サポートおぢや at 01:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 東北地方太平洋沖地震 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月30日

【東北地方太平洋沖地震】広がる支援の輪(1)

小千谷から発信⇒地震災害、地震防災対策サポートサイト
防災サポートおぢや


防災サポートおぢやでは、本日から4月27日までの毎週水曜日に、小千谷市総合体育館に避難されている被災者の皆さんに、夕食のお汁を無料で提供するボランティアを行っております。

少しでも心が癒されることを願い、小千谷市では他の団体や個人の方々もボランティア活動を行っており、一日でも早く回復されることを祈っております。


東北関東地方を襲った巨大地震から2週間余りが経過しましたが、被災地に向け国内外から多くの支援が寄せられています。

その一方で、3月30日宮城県警は、26日までの半月に県内で発生した窃盗事件の被害総額が約1億円に上ると明らかにしました。

また、被災民による殺人も報道されています。

外国メディアが、震災後の日本国民の行動を絶賛していることを思うと複雑な気もしますが、それでも日本人は、世界が称賛するに値する倫理観を持ち合わせた国民と評価していることに、素直に喜びたいと思います。


多くの支援の輪が世界中で広がっていますが、その一部をまとめてみました。


●天皇皇后両陛下のご意向で、那須御用邸の入浴施設を被災者に開放  2011/3/26

栃木県那須町の那須御用邸内にある職員用温泉入浴施設が26日、同町に避難している福島県の被災者に開放された。

天皇、皇后両陛下の意向を受けて実現したもので、雪の中をバスに乗った22人が訪れた。

宮内庁によると、同庁関係者以外が利用したのは初めて。
今後は那須町が避難所から送迎バスを運行し、4月末まで週2回、1日50人ほどを受け入れる予定。

●両陛下、避難所お見舞い 東京武道館 2011/3/30

天皇、皇后両陛下は30日、福島県いわき市などから避難した約300人が身を寄せる東京都足立区の東京武道館を訪れ、激励の言葉を掛けられた。

東日本大震災で、両陛下が避難所をお見舞いするのは初めて。

1995年の阪神大震災や2004年の新潟県中越地震で、両陛下は発生の2週間ほど後に被災地入りし、避難所を回った。

今回の大震災は被災地が広範囲にわたり、甚大な被害の全容がまだ明らかになっていないことから、被災地訪問の時期は決まっていない。


●「別荘使って」被災者に全国の別荘地申し出続々

避難所暮らしを続ける被災者に、別荘を無償で貸し出す動きが広がっている。
「安息の場として使ってほしい」と申し出る別荘オーナーが増え、栃木県那須町では子どもやお年寄りを抱える10世帯以上の避難住民が移った。

「善意の輪が全国の別荘地に広がれば」と関係者は期待を寄せている。

1万戸近い別荘がある那須町は、情報を集約して200人超が身を寄せる避難所の掲示板に、合計30件以上を張り出した。
その内3分の1ほどで“成約”した。

長野県軽井沢町では「冬はオフシーズンなので使わない別荘を提供したい」とオーナーから申し出が相次ぐ。

千葉県白子町や神奈川県茅ケ崎市でも数件の申し出があったという。

新潟県湯沢町とNPOは、被災した母親と3歳までの乳幼児に町内の宿泊施設への避難を呼びかけた。まず母子100組を募集。2家族1部屋で4月25日まで。
宿泊、食事、医療費無料。宮城復興支援センター
(TEL022−256−2231)


●新潟県内の避難者対象に契約社員募集、4月から20人。 2011/3/29

携帯電話を使った会員制交流サイト大手のディー・エヌ・エー(東京)は29日、東日本大震災や福島第1原発事故のため本県内に避難している被災者を対象に、4月から契約社員20人を募集すると発表した。

新潟市中央区の「新潟カスタマーサポートセンター」で業務に当たる。
携帯電話向け総合ポータルサイト「モバゲータウン」についての電子メールや電話での問い合わせに対応、違法行為の監視などを担当する。

契約期間は原則1年。早ければ5月にも面接を行い、5〜6月からの勤務を予定する。

ディー・エヌ・エーは今後、被災者計50〜100人を新潟、東京の同センターで雇用する計画。
「雇用機会の提供が、生活再建のためには必要な支援策と判断した」としている。

同社は新潟市中央区出身の南場智子社長が1999年に設立。「モバゲータウン」は2400万人以上の会員がいる。

●ドラッグストア大手のスギホールディング(愛知県安城市)震災で内定を取り消された学生を支援

震災で内定を取り消された学生支援に、事務系総合職、栄養士、化粧品販売担当者など、最大150人を追加採用する。

住居も自治体と協議して支援の方針。中部、関東、関西で744店を展開している。

●北九州市のウチヤマホールディングス、被災者50人を雇用 2011/3/28

介護施設やカラオケ店などを運営する北九州市のウチヤマホールディングスが被災者約50人を雇用する。
職種は介護業務や飲食店の調理業務など。勤務地は北海道、秋田県、東京都など。

男女18歳以上で、随時受け付ける。
雇用が決まれば、家族と入居できる住宅探しを支援する。

●原信ナルスホールディングス株式会社、新潟県民募金へ義援金を寄託 2011/3/29

義援金の額5,000万円

●石川遼、賞金を全額寄付…目標は2億円 2011/3/30

男子ゴルフの石川遼選手(19)が29日、東日本大震災の被災者支援のため、今季の国内ツアーとメジャー大会で獲得する賞金を全額寄付。

バーディーは一つ取るごとに10万円を加える。
総額で「2億円が目標」という。

●エコポイント寄付

家電、住宅エコポイント相当額(1点=1円)を、日本赤十字社を通じて義援金として全額寄附することができる。。

100点単位または、残りポイント全てを寄附する方法で交換商品として申込み。
受付期間は、日本赤十字社の義援金取扱期間(平成23年9月30日迄)を踏まえて決定。






posted by NPO法人 防災サポートおぢや at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 東北地方太平洋沖地震 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月24日

【東北地方太平洋沖地震】避難所におけるボランティア活動について(お願い)

小千谷から発信⇒地震災害、地震防災対策サポートサイト
防災サポートおぢや


小千谷市では、3月17日より東北地方太平洋沖地震の被災者232人を、一般家庭に受け入れていましたが、3月23日午後から、小千谷市総合体育館に24日現在で約175人(日々変動)が移動されました。

小千谷市では、この避難所での食事の際に、汁物を提供する団体を募っております。

防災サポートおぢやでは、役員会で協議した結果、小千谷に避難されている方が少しでも癒されることを願い、ボランティアとして活動することといたしました。

会員の皆様には年度当初のご多用な時期とは存じますが、是非ともご協力いただきますようお願い申し上げます。


≪活動内容≫
 
 総合体育館避難所において、汁物調理・運搬・片づけ

 日 時:平成23年3月30日(水)、4月6日(水)

          4月13日(水)、4月20日(水)
          
          4月27日(水)
    
 活動予定時間 ⇒ 午後4時〜7時

        (夕食時間の6時に合わせて)

 ・一回当たり5人程度を予定しています。
 
 ・活動時間に制限のある方は、申込書に明記してください。


ご協力いただける方は、お手数でも申込書にご記入いただき、3月28日(月)までに事務局へFAXなどでお届けください。

電話等でのご連絡でも結構です。

 * 希望場所に偏りが生じた場合は調整させていただく場合
   があります。


連絡先 : TEL/FAX:(82)2809

Email : takeda.ojiyahukko@eos.ocn.ne.jp




posted by NPO法人 防災サポートおぢや at 21:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 東北地方太平洋沖地震 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月17日

【東北地方太平洋沖地震】 故郷を離れ小千谷の地に

小千谷から発信⇒地震災害、地震防災対策サポートサイト
防災サポートおぢや


■ 被災者の受け入れ

小千谷市は、「東北地方太平洋沖地震被災者支援本部」を3月13日に設置し、避難民の受け入れ準備に入っていたが、15日夕、福島県浪江町からの被災者13人を受け入れました。
真人町の古民家を改築した宿泊施設に滞在しています。

また、今日17日には約20人の受け入れを予定しているという。

他に、小千谷市と南相馬市との直接のやり取りで、今後200人規模での受け入れを予定しています。

いづれも、民泊での受け入れです。

尚、民泊は1週間の滞在予定で、その後は総合体育館や、その他の公共施設に移動するものと思われ、総合体育館は被災者の避難所となるため、18日から利用停止となります。


福島県浪江町から避難する住民の車

福島第1原発の避難指示が半径10キロに拡大し、浪江町から避難する住民の車で渋滞する道路=12日午前、福島県双葉郡浪江町(産経)


南相馬市の津波被害

「砂嵐のような津波が…」福島県南相馬市(産経)




■ 東北電力による計画停電

小千谷市で予定されていた、東北電力による計画停電は17日、18日の両日中止されました。


■ 被災者の支援

小千谷青年会議所は、被災された方を支援するために「“おぢやからの恩返し”プロジェクト」を立ち上げました。

支援物資を現地に送るため、善意の寄付を募集しています。
毛布、カイロ、紙おむつ、粉ミルク(調乳器具)、電池、携帯充電器、日用品、未開封の飲料水、食料品(缶詰等)、新品の衣類など。

受取場所

小千谷市平沢新田 小千谷市車両センター内(ジャスコ裏 入口に看板あり)


詳しくはこちらから 小千谷青年会議所ホームページ


■ 法律関係

新潟県弁護士会は、県内に避難している被災者に対する支援活動を実施します。

詳しくはこちらから 新潟県弁護士会ホームページ



新潟県内での受け入れ状況は、17日16時現在で、新発田市530人、新潟市3932人、三条市670人、長岡市290人など、合計7650人に登っています。(新潟県災害対策本部)

新潟市体育館の避難者=17日

避難所で新聞を見詰める避難者=17日、新潟市の市体育館(新潟日報)


■ 県外の受け入れ状況

埼玉県では、さいたまスーパーアリーナに100人が避難、5000人まで収容可能としている。

千葉県は、福島県からの避難者が250人、松戸市は避難所のほか、ホームスティで受け入れるとしている。

群馬県は700人以上。長野県は、南信州広域連合が100人。

東京都は、日本武道館と味の素スタジアムで約1600人の受け入れ可能と発表。



posted by NPO法人 防災サポートおぢや at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 東北地方太平洋沖地震 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月13日

【東北地方太平洋沖地震】凄惨!大津波が残した爪痕(1)

小千谷から発信⇒地震災害、地震防災対策サポートサイト
防災サポートおぢや


2011年3月11日午後2時46分頃、宮城県北部で国内観測史上最大のM9.0の地震が発生。

(気象庁は、今回の地震について詳細に解析した結果、地震の規模マグニチュードを8.8から9.0とした。)

県内の震度は、刈羽村、南魚沼市で震度5弱。
震度4が新潟、長岡、上越、三条、柏崎、十日町、村上市などほぼ県内全域。
震度3が糸魚川、妙高、小千谷


震度3の小千谷では、被害の報告はないとのこと。


福島第一原発、大変な事態になっています。

枝野幸男官房長官は13日午後3時28分、首相官邸で記者会見し、東京電力福島第1原発3号機について「原子炉内で大量に水素が発生し、建屋の上部にたまっている可能性が否定できない。昨日、1号機で起きた水素爆発の可能性が生じた」と発表した。

同原発から半径20キロ圏内の住民には12日夜に避難指示が出ており、枝野長官は「新たな対応をする必要はない。冷静に受け止めていただけたらと思う」と説明した。


福島第一原発避難範囲

福島第一原発避難範囲


福島第一原発

福島第一原発(Google)


福島第一原発1号機の水素爆発

福島第一原発1号機の水素爆発


福島第一原発1号機の水素爆発後

福島第一原発1号機の水素爆発後



東京電力は、13日午後8時半前から清水正孝社長などが記者会見を行い、清水社長は「放射性物質の漏えいや原子炉のトラブルが相次ぎ、避難勧告が出ている地域をはじめ、社会の皆様に大変なご心配とご迷惑をかけ、心よりおわびしたい」と述べた。

また、「施設は地震の揺れに対しては正常に停止したが、津波の影響が大きかった。
津波の規模は、これまでの想定を超えるものだった」と話した。

地震の発生から13日で2日、原子炉を完全に止めて安全を確保するめどは立っておらず、東京電力は復旧作業を急いでいる。(NHKニュース)


新潟県では、通常放射線監視を行っている柏崎刈羽原子力発電所周辺の放射線監視装置に加え、臨時に新潟市、長岡市、阿賀町に可搬型の放射線監視装置を設置しました。


13日16:00現在の測定値では、異常な値は測定されていません。

詳しくは、新潟県のホームページをご覧ください。




被曝対策どうする…

地震や津波による被災に加え、原発事故による被曝への対策も問題になっています。

被曝を防ぐにはどうしたらよいか、長引く避難生活での健康への影響をどう抑えるか、対処法や注意点をまとめてみました。

もし施設の外に放射性物質が漏れ出たら、どのようにすれば被曝を抑えられるのか。

まず知っておきたいことは、被曝から身を守るには〈1〉放射線を遮る〈2〉放射線源から距離をとる〈3〉被曝する時間を少なくする。この3点が重要。

屋内退避と言われたら、放射性物質が飛散している外気が室内に入らぬよう、ドアと窓をしっかり閉める。エアコンや換気扇も切る。

避難のため外に出る時は、放射性物質が鼻や口、皮膚の傷口などから体内に入る「内部被曝」を防ぐことを心がける。ぬれタオルで鼻や口を覆う。皮膚を露出しないような服装が望ましい。

また、風向きにも気を配りたい。なるべく風下に入らないように注意する。

外から室内に入る際にも注意が必要。衣服には、放射性物質が付着している可能性がある。
室内には汚染された衣服を持ち込まず、ドアの前(戸外)で脱ぎ、ただちにビニール袋に入れて口を縛る。

放射性物質の一つであるヨウ素は、体内に入ると甲状腺に集まりやすく、特に子どもでは甲状腺がんの原因になる。ヨウ素の甲状腺への取り込みを防ぐ薬(安定ヨウ素剤)は、副作用もあるので、災害対策本部の指示に従って服用する。

一定以上の被曝が確認された場合、通常は衣服を脱いだり、ぬれた布でふきとったりして、放射性物質の周囲への拡散を防ぐ。

また、体内に入った放射性物質に対しては、排出を促す薬を用いる。

(民間防衛より引用)




posted by NPO法人 防災サポートおぢや at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 東北地方太平洋沖地震 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【東北地方太平洋沖地震】小千谷市が被災者支援本部を設置

小千谷から発信⇒地震災害、地震防災対策サポートサイト
防災サポートおぢや


2011年3月11日午後2時46分頃、宮城県北部で国内観測史上最大のM9.0の地震が発生。

(気象庁は、今回の地震について詳細に解析した結果、地震の規模マグニチュードを8.8から9.0とした。)

県内の震度は、刈羽村、南魚沼市で震度5弱。
震度4が新潟、長岡、上越、三条、柏崎、十日町、村上市などほぼ県内全域。
震度3が糸魚川、妙高、小千谷


震度3の小千谷では、被害の報告はないとのこと。



3月13日小千谷市は、「東北地方太平洋沖地震被災者支援本部」(本部長:大塚副市長)を設置し、できる限りの支援策を推進していくとしています。

当面の活動内容

■ 被災者の受入れ
 
 市民の協力を得て、一般家庭に被災者を受入れる。
 基本的に、食事代等は市で負担。
 受け入れ対象者は、行政と打ち合わせをする。

■ 避難所等の確保
 
 住宅を失った方、避難を余儀なくされている方々に対して、新
 潟県等とも協議を進めながら体育館等の公共施設を活用し
 広域的な避難所を確保する。

■ 義援金の受付
 
 市としての義援金受付窓口を設置する。専用口座は3月14
 日(月曜日)に開設を予定。






posted by NPO法人 防災サポートおぢや at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 東北地方太平洋沖地震 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月12日

【東北地方太平洋沖地震】小千谷市、新潟県の対応

小千谷から発信⇒地震災害、地震防災対策サポートサイト
防災サポートおぢや


2011年3月11日午後2時46分頃、宮城県北部で国内観測史上最大のM8.8の地震が発生。


県内の震度は、刈羽村、南魚沼市で震度5弱。
震度4が新潟、長岡、上越、三条、柏崎、十日町、村上市などほぼ県内全域。
震度3が糸魚川、妙高、小千谷


震度3の小千谷では、被害の報告はないとのこと。


小千谷市は、3月11日午後6時5分に緊急消防援助隊として出動要請を受けて、消火隊、後方支援隊の2隊6人が宮城県石巻市へ出動。

中越大震災ネットワークおぢやは、会員の中でも比較的被害の大きい、茨城県日立市に向け、先遣隊4人を派遣。3月12日午前7時37分、日立市災害対策本部に到着し情報収集中。

3月12日午前8時と午後12時30分に、茨城県日立市に物資支援として、飲料水、毛布、アルファ米を載せた2トン車2台、トラックを出発させた。

ガス水道局は、日本水道協会より給水車の派遣要請があり、仙台市水道局に給水車と先導車各1台、総員4名で出動。3月12日正午に小千谷市を出発した。



新潟県と県警は、県内の情報把握と並行し、東北各県への支援も開始。

県は災害派遣医療チーム(DMAT)と、防災局、土木、福祉保健部の職員計11人を情報収集のため宮城、福島両県庁へ派遣した。

県警は広域緊急救助隊53人を福島方面へ派遣。

県は、3月12日 0時30分頃に現地に向けて救援物資(乾パン、アルファー米・保存水・毛布・簡易トイレ等)を発送している。



3月12日に発生した長野県北部を震源とする地震は、小千谷市は最大震度4。

十日町市、津南町方面は交通に障害が発生しています。


引き続き、注意して下さい。



posted by NPO法人 防災サポートおぢや at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 東北地方太平洋沖地震 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

関東で被災した千田中学校生徒無事帰る

小千谷から発信⇒地震災害、地震防災対策サポートサイト
防災サポートおぢや


東京で修学旅行中だった千田中学校の2年生は、東北地方太平洋沖地震で震度5〜6の地震にみまわれましたが、東京プリンスホテルに宿泊する事が出来、今日12日15時頃全員無事に小千谷に帰る事ができ、16時には下校されました。

皆さんが無事で、本当に安心しました。

東京には、私の親戚もいますが、4人が帰宅難民で連絡も取れない状態が数時間続き、心配しました。

首都圏の交通機関は、ほとんど機能不全に陥り、通信も不能。テレビやラジオの情報だけが頼りでした。

そうした状況の中で、比較的に機能したのが、インターネットと災害伝言ダイヤル171、公衆電話等の通信手段でした。

特に、インターネットとメールができるiphoneが重宝されたようです。

首都圏の大地震が予想されていることから、今回の大きな地震は、大都会に住む人達に大きな教訓を与えたのではないかと思っています。

東京都の被害は、警視庁によると、午後8時半現在で判明しているだけで、都内の死者は3人、重傷者13人、軽傷者40人。
千代田区の九段会館では建物の一部が崩落し、1人が死亡、10人が重傷、25人が軽傷。


posted by NPO法人 防災サポートおぢや at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 東北地方太平洋沖地震 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月11日

国内観測史上最大M8.8 東北地方太平洋沖地震発生!

小千谷から発信⇒地震災害、地震防災対策サポートサイト
防災サポートおぢや

2011年3月11日午後2時46分頃、宮城県北部で国内観測史上最大のM8.8の地震が発生。

震度7を観測するこの地震で、津波や火災が発生し、多数の死傷者が出ている。

気象庁によると、震源地は三陸沖の牡鹿半島の東南東130キロ。震源の深さは約10キロ。
地震の規模を示すマグニチュード(M)は8.8。

震度速報で宮城県北部で震度7、福島、茨城、栃木県などで震度6強
岩手、群馬、埼玉県、千葉県で震度6弱を記録した。

福島県では7メートルを超える大津波が観測されるなど、北海道から沖縄県にかけての広い範囲に津波が押し寄せている。

気象庁は、太平洋側を中心に、全国の沿岸各地に大津波警報と津波警報を出して厳重な警戒を呼びかけるとともに、余震の揺れにも警戒するよう呼びかけている。

また、この地震により政府は、3月11日19:03分原子力緊急事態宣言を発令した。

枝野幸男官房長官は同日夜、同原発から半径3キロ以内の住民は避難し、3キロから10キロまでの住民は屋内に待機するよう指示したと発表した。

枝野氏は記者会見で、「(同原発の)炉の一つが冷却できない状態になっている。放射能は炉の外には漏れていない。今の時点で環境に危険は発生していない」と述べた。

経済産業省原子力安全・保安院によると、東電から同法に基づく通報があった。外部電力の供給が止まった後、非常用ディーゼル発電機が起動せず、緊急炉心冷却装置(ECCS)が作動できない異例の状態になった。

電気を必要としない一部冷却系も、弁が動かないため炉心を冷却できないという。東電は、各地から非常用の電源車を現場に差し向けたが、復旧は遅れた。


福島第一原発

福島第一原発(NHK提供)


福島第一原発

福島第一原発


福島県内の各地の消防によると、同県北部の海岸部では津波によって新地町から南相馬市まで約30キロの住宅が壊滅状態。計4000世帯が水浸しだという。

宮城県名取の津波

宮城県名取の津波にのみ込まれる住宅(時事通信)


津波の後に発生した気仙沼の火災

津波の後に発生した気仙沼の火災



3月12日午前3:50現在、確認された死亡者数155人。
遺体安置所になった南相馬市の県立原町高校には、夕方から白い布に包まれた遺体が次々と体育館に運び込まれた。





posted by NPO法人 防災サポートおぢや at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 東北地方太平洋沖地震 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする