2016年03月10日

大震災から5年 歴史は警告する。

2011年3月11日午後2時46分に発生した東日本大震災は、多くの人の生活を変え、そして東北地方を中心に多くの町の姿を変えました。

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巨大地震で津波が押し寄せた後、宮城県気仙沼市市内では大規模な火災が発生。(2011年3月12日)=日本経済新聞

東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)
地震の規模はマグニチュード 9.0。
発生時点において日本周辺における観測史上最大の地震。
震源は広大で、岩手県沖から茨城県沖までの南北約500km、東西約200kmのおよそ10万km2という広範囲全てが震源域とされる。
最大震度は宮城県栗原市で観測された震度7.0。

被害
この地震により、場所によっては波高10m以上、最大遡上高40.1mにも上る巨大な津波が発生。
また、巨大津波以外にも、北海道南岸から東北を経て東京湾を含む関東南部に至る広大な範囲で被害が発生し、各種インフラが寸断された。
2016年(平成28年)3月10日時点で、震災による死者・行方不明者18,455人。
建築物の全壊・半壊は合わせて400,326戸。
震災発生直後のピーク時の避難者40万人以上、停電世帯800万戸以上、断水世帯180万戸以上。

復興庁によると、2016年2月12日時点の避難者等の数174,471人で、避難が長期化していることが特徴的である。


「自然」というものに対し、多くの日本国民は常に謙遜であらねばならないと感じています。
自然と戦うのではなく、その恩恵に感謝し共存する姿勢は日本の文明とも言えます。

ですが、時として 自然は 生きとし生けるものに過酷な打撃を与えます。このような時、私たちは過去から 歴史から多くを学ぶことができます。
過去からの警告、歴史からの警告として改めて考えてみたいと思います。

■「奇跡の集落」
岩手県大船渡市吉浜地区にある真新しい石碑にはそう刻まれています。
東日本大震災で同地区にも津波が襲いましたが、犠牲になったのは住民約1,400人のうち1人だけでした。
旧吉浜村の村長であった柏崎丑太郎氏は、1933年の昭和三陸津波の後、住民の高台移転を強力に進めました。

「高台へ」の教え

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「此処(ここ)より下に家を建てるな」と記された石碑(岩手県宮古市)

柏崎丑太郎氏には、苦い経験があったといいます。
昭和津波から37年前の1896年、明治三陸津波で住民の2割にあたる約200人が亡くなり、高台に移転する動きが出ましたが、昭和津波でも17人が犠牲になりました。
繰り返された犠牲の歴史。昭和津波後の柏崎氏は、強引との批判にも動じず住民の高台移転を徹底しました。

1896年(明治29年)5月15日の明治三陸津波
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津波の前は、民家が密集して立ち並ぶ漁村だった(左)。
津波に襲われた町は、ほとんどの家屋を失った(右)。

5年前のあの日、揺れを感じた100歳の柏崎ナカさんは坂を登りました。
「地震が来たらまず逃げろ」。少女だったころのナカさんに繰り返し説いた祖父丑太郎の面影を思い出しながら。
そうやって、ナカさんは平成の大津波を生き抜きました。

「おじいさんのおかげだねえ」と、ナカさんは話されたといいます。

「三陸沿岸は津波襲来の常習地である」。1923年の関東大震災を予測した初代地震学会会長、今村明恒氏はかつてこう警告しました。
だが、明治、昭和の津波で高台移転した岩手と宮城の30地区のうち21地区は、平成の東日本大震災でも大きな被害にあいました。
いつしか災害の惨劇の記憶が薄れ、不便な高台を離れる人々。津波の怖さを知らない移住者も低地に家を建てていきました。

死者・行方不明者1,700人以上を出した陸前高田市もその一つ。1960年代以降、人口増に伴って沿岸部に宅地を広げていきました。

都市計画に携わった元市職員の荻原一也(89)氏は「869年の貞観地震や1611年の慶長三陸地震の津波が今回と同じ規模と知ったのは震災後だった」と悔やんでいます。

■ 地震の2割は日本で起きているが、人災は避けられる
この10年で起きた世界中の大地震の2割は日本で起きていると言われています。
日本列島周辺では地球の表面を覆う4つのプレートが接しており、天災は避けられないが、人災は避けられます。

多くの人々のふるさとを奪った東京電力福島第1原発事故。津波の高さは東電が想定した5.7メートルを大きく上回る約13メートルでした。
東電は2008年、明治三陸並みの地震が起きた場合、津波の高さは最大15.7メートルとの試算を得ていましたが、具体的な対策には生かされませんでした。

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東日本大震災から2年、復興を困難にしている真の原因

試算の検討に関わった東北大教授の今村文彦氏は「震災前から貞観津波の堆積物調査をもとに巨大津波の可能性を東電に伝えていたのだが……」。

静岡沖から九州沖にかけて延びる海溝南海トラフを震源とする巨大地震は、100〜150年周期で日本の太平洋岸を襲います。今から約1300年前の720年に編さんされた日本書紀には、最古の南海トラフ地震とされる白鳳地震(684年)をこのように記しています。

「国中の男女が逃げ惑い、山は崩れ、川はあふれかえった」と

歴史は警告しています。

災害大国である日本、天災の宿命とどう向き合うか、新たな闘いはすでに始まっています。










posted by NPO法人 防災サポートおぢや at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 東北地方太平洋沖地震 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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