2012年03月30日

宮城県七ヶ浜町追悼行事参加と周辺視察の旅


NPO法人防災サポートおぢやでは、東日本大震災による災害支援を現在も引き続き行っております。

去る3月10日、11日の両日、宮城県七ヶ浜国際村で行われた追悼行事への参加と現地視察の旅を実施しました。

宮城県黒川地方町村会及び議長会は、大震災後それぞれ小千谷を訪れ、当法人防災サポートおぢやが復興に関する対応を行ったことから、追悼式典参加の誘いを受け、実施されました。

現地では、事務局長の千葉己津雄氏を案内人とし、追悼行事参加に先立ち、10日は松島周辺、石巻市、女川町、東松島市を視察。

翌11日は、松島散策、遊覧後、七ヶ浜町追悼式典に参列 帰谷という強行日程でしたが、未曾有の大震災に見舞われた現地の1年後の状況を視察したこの旅は、大変に有意義なものでした。

大震災から1年後の今日に於いても、被災者の生活はとても平常とはいかず、物心両面からの支援、環境の整備、生活インフラの再構築など、まだまだ復興の途についたばかりという感がします。

連日のように報道されている、復興への妨げになっている最大の原因は、やはり瓦礫の処理です。

宮城県の瓦礫の量は、通常の19年分(約1569万t)もあり、その内被災地内で処理しきれない分は約344万t。

政府、環境省は、この被災地内で処理しきれない分を広域処理として、全国の自治体に受け入れ要請をしています。

小千谷市でも、何とか協力できないものかと、個人的に日々考えてしまいます。

小千谷市も、できないではなく、できる方法はないものかと、真剣に考えてほしいと強く望みます。

東松島市の瓦礫処理現場

東松島市の瓦礫処理現場

未だ処理されないままの瓦礫の山


この様に、処理されずに残された瓦礫が、各地に点在しています。


案内人の千葉氏の話では、この津波で流された水産加工会社の巨大な鉄製タンクは、震災を忘れないために一部を移転して保存する予定であるとのことです。(石巻市)

津波で流された水産加工会社の巨大な鉄製タンク




津波で全校児童の七割が犠牲になった、大川小学校です。

津波で全校児童の七割が犠牲になった、大川小学校

津波で全校児童の七割が犠牲になった、大川小学校


石巻市釜谷地区の北上川河口から約4`の川沿いに位置する大川小学校は、3月11日の東日本大震災で全校児童108人の7割に当たる74人が死亡、行方不明となりました。

河北新報社は震災からほぼ半年となる9月8日、大川小学校の惨状を証言をもとに克明に検証しており、これだけの犠牲者を出した要因にも触れています。


(河北新報社が検証した文献から抜粋)

住民や現場に居合わせた男性(70)の証言を総合すると、学校南側の裏山は急斜面で足場が悪いため、約200メートル西側にある新北上大橋のたもとを目指すことになった。

周囲の堤防より小高くなっている新北上大橋に向かって児童らが列を作って校庭から歩き出した直後、津波は児童の列を前方からのみ込んでいったという。

列の後方にいた教諭と数人の児童は、向きを変えて裏山を駆け上がるなどし、一部は助かった。


低学年でも登れたという裏山は、写真の右側の山です。

現在は、保護者の方々が教育委員会を相手取り、民事訴訟の準備をしているようですので、詳しい内容につきましては、割愛させて頂きます。






防災サポートおぢやは、中越大震災を体験した人々で運営されているNPO法人です。

平常時からの地震対策がいかに大切なことか、身重って経験しています。

多分野にわたり多彩な講師陣が、全国から招かれお役にたっています。


震災体験者が語る、防災、減災への教訓




posted by NPO法人 防災サポートおぢや at 00:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 東北地方太平洋沖地震 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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