2009年02月14日

「人殺しの組織に人命救助させるな!」編集後記(1)

地震災害、地震防災対策サポートサイト
防災サポートおぢや

3回に渡り、記述してきた 「災害時における自衛隊の活動」についてのディスカッション、いかがでしたでしょうか。

この後、まだまだ数日をかけて行われたのですが、本題よりも政治的意味合いが強い内容になってしまった為、残念ながら当サイトでは掲載することができません。(NPO法人法)

しかし、男性(B)のように「人殺しの組織に人命救助させるな!」と言わせる背景には、いったいどのようなことがあるのでしょうか。

一つには、敗戦当時のGHQによる不条理の統治や、日本国憲法制定時にまで遡らなければなりません。

そしてもう一つは、戦後の学校教育のあり方という、いわゆる戦後史に大きく関わってきているのではないかと思います。


敗戦時のGHQによる6年8ヵ月間の日本占領は、戦勝国が敗戦国に科した不条理な日本国改造劇だったことを私たちは忘れてはならないでしょう。

戦後63年余りが過ぎた今も、日本は占領政策の負の遺産、GHQが1週間足らずで作成した現行日本国憲法の歪の中に沈み続けています。

憲法第9条(「戦争の放棄」「戦力の不保持」「交戦権の否認」)

自衛隊法もまた、然りです。

サンフランシスコ講和条約を締結した後、当時の首相吉田茂は、国内の惨状を鑑み、早急に我が国を再生する為、経済の復興をまず第一に掲げ、軍事力はその後と位置づけました。

この事が後に、「戦力の不保持」という憲法第9条を盾に、多くの議論を巻き起こす結果となってしまったことは論を待たないところです。

だがその後、多くの文献から吉田元首相は、「サンフランシスコ講和条約を締結したからには、もはや、日本国は占領されている国ではない、主権国家として列強に侮られない軍事力も備えなければならない」
と考えていたことが、明らかにされています。

日本の国民性は、古の時代から決して閉鎖的だったわけではありません。

聖徳太子の時代から、遣唐使、遣隋使らを当時の東アジアの先進国であった中国に積極的に派遣しています。

また、大陸からの移民や文化文明に博識のある外国人を帰化させたり、相応の待遇もしていることが窺えます。

織田、豊臣、徳川の時代においても、博多、長崎、堺といった港を持つ場所に限定されてはいましたが、交易が盛んに行われていました。

近代においても、大正デモクラシーと言われるように、民主主義のイデオロギーが早くから身についていた国民でもありました。

京都大学大学院教授で、国際史、文明史を専門とする中西輝政氏は、

「無変動と静謐の中から強靭な適応力と自己革新の能力を瞬時に浮上させる周期的サイクルが日本文明史のパターン。

周期的停滞と危機時における瞬発的適応の交互作用という特徴は日本文明の核心にあるメカニズムである」

と述べています。


さて、現代ではどうでしょうか。

冒頭で述べたように、敗戦当時のGHQによる不条理の統治は、いま直、多くの日本人に割り切れない思いを抱かせています。

その結果が、今日の自衛隊は軍隊か?などという悠長な議論を未だしていることからも窺い知ることができます。

自衛隊という軍事力を備えた国家機関がなかったら、災害時の救助などもありえませんね。

消防や警察とは違った役割を持つ戦力。

人は、艱難に遭遇して始めて、その真の価値が分かるのかも知れません。


「心だに誠の道にかなひなば祈らずとても神や守らん」


                          By 菅原道真







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posted by NPO法人 防災サポートおぢや at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 徒然日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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